GQ Sports「オータニはいかにして野球の楽しさを復活させたのか」(その2)

GQがウェブ上で公開した大谷選手へのインタビューの日本語訳、パート2である。

Newport Beach

ちなみに大谷選手が今回取材を受けたNewport Beachはオレンジ・カウンティの沿岸部に位置しており、細長い砂州と陸地に囲まれた湾が特徴で、内海にはバルボア島に代表される超高級住宅が並ぶ島々が浮かぶ。島と言ってもほとんどは陸地とは橋でつながっているので車で行くことができる。水路に面した家には船を係留できるドックがついており、小さな物件でも数百万ドルはする。

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またダッフィ・ボートとは複数の人間が向き合って座るような座席が設けられた、屋根付きの小型ボートで、移動用というよりは観光用、遊覧用である。


ショーヘイ・オータニはクッションの効いたダッフィ・ボートのコクピットにいて、カリフォルニア州ニューポート・ビーチの人工水路をクルージングしていた。全身黒ずくめで、黒のアシックスのスニーカー、ヒューゴ・ボスの黒のスウェットパンツとスウェットシャツ、黒いオークリーのサングラス、そしてヒューゴ・ボスの黒い帽子を後ろ向きにかぶっていた。黒は彼の車、つや消しの黒いテスラ・モデルXにマッチしていた。黒は幅広く、193センチある肉体をスマートに見せていた。その肉体はパーフェクトと呼べるほどピッチングに必要なパワー、バッティングに必要なパワー、ランニングのスピードのために最適化され、殿堂入り選手のチッパー・ジョーンズをして「これほど野球に完璧な身体は見た事がない」と言わしめた。オータニはアドニス(ギリシャ神話で、女神アフロディテに愛された美青年)だ。

27歳のオータニは幼く見える顔をしているが、分け隔てのない笑顔とテンションの高い笑い声でさらに若く見える。フィールドでは500フィートの打球を飛ばしたり、スプリットで相手打者のバットに空を切らせた時、明らかに他の感情がある。それはFUN(楽しい)だ。信じられないようなことした時、しばしば彼はスマイルを抑えきれないようだ。また自分でも考えられないようなことをしでかした時、対戦相手にわびる時もある。その時は心からの控えめな敬意を示す。数え切れないほどのプレー上の脅威を示す編集された動画もあるが、フィールドやダッグアウトのゴミを拾うシーンの動画もあって、ファンは彼が素晴らしい人間性を持っている事を知る。

ショーヘイは相手が英語を話す時、ほとんどの場合通訳のイッペイ・ミズハラを介して話す。イッペイは1週間/24時間待機していて、今日のボート上にも同席した。

我々の会話にはある種のパターンがあった。私が何か言うと、ショーヘイは幾ばくかを理解し、残りはイッペイが通訳する。するとショーヘイは脳のフルバッテリーを使用して質問を理解しようとしているかのように深く息を吸う。そして何かを話すが、それがイッペイの笑みを誘う。それは電話を使った会話ゲームのようだ。彼はこんなことを今までにした事はないだろうが、人生を、通訳された言葉に変える小説のようだ。

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この日の午後、私が何か言うたびにオータニが何らかの意味あるアクションをしているのはわかったが、トレーニングしていない私の耳では彼の言いたい事はほとんど理解できなかった。しかし時々「ヤキュー」というのと「イチローサン」というのだけは分かった。

ショーヘイは小さい頃から日本で言う「ヤキューショーネン」(食べて、寝て、息をするように野球をする子供)だった。岩手県奥州市で育ち、そこは山に囲まれた農業地域だった。ショーヘイ曰く「何もない田舎の出身です」。アメリカの中西部のトウモロコシ畑しかない町で育った少年の日本版なのだろう。

彼の父は日本の社会人野球のチーム(自動車会社の工場のチームで、ショーヘイの母親も同じ工場で働いていた)でプレーしており、ショーヘイのリトルリーグチームのコーチもしていた。

日本のユースレベルの試合では、試合開始時にプレーヤーは脱帽して、コーチ、関係者、ファン、そしてグラウンドに向かって深くお辞儀をする(元をたどれば、ショーヘイの動画で彼がグラウンドのゴミを拾っている理由)。

ショーヘイは日本でも有数の野球名門校に進学すると、18歳の時にテレビで100マイルの速球を投げるシーンが映り、全国の知るところとなった。このボールを投げられた同じ年代の選手の反応はまるで未来を見ているかのようだった ― 野球をプレーしているのではなく、遙か遠い世界での出来事のようだと。

10代のうちにアメリカでプレーしたいと言う時もあったが、ショーヘイは日本のプロ野球チーム、北海道日本ハムファイターズと契約した。日ハムは大谷に二刀流をやらせることで合意した(この時点で日本にもアメリカにも二刀流を可能と見るチームはなかった)。

ファイターズでの5年間でショーヘイはプロ野球のスターになった。MVPにもなり、日本シリーズも制覇した。将来の第一人者となった。ファイターズは札幌に本拠を置いている。ここは日本の北の島、北海道の首都で雪が多く、風が吹きすさび、オータニ曰く「厳しい自然」の街で、野球のトップシーズンを除けば、シベリアから日本海を渡ってくる極北の風にさらされている。

チームの独身寮で暮らしていた頃、オータニは給料は全て実家の母親に送っていたが、母親はそこから毎月1000ドルほどをオータニの個人口座に振り込んでいた。しかしショーヘイがそれに手をつける事はほとんどなかった。彼の知名度は上がる一方だったが、オータニはまさに野球一本の生活を続けていた。

高校生の頃、オータニのコーチは彼に毎年の目標を書面にすることを求めた(例えば、26歳でワールドシリーズに勝ち、結婚する、37歳で最初の息子が野球を始める、38歳で成績が落ち引退を考えるなど)。

レンズは決まった。絞りはタイトだ。生活は札幌ドームから札幌ドームで占められた。それは栄光に満ちた野球の修道院生活だった。

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