エンゼルス列伝:フランシスコ・ロドリゲス(救援投手)

弱冠20歳でワールドシリーズデビュー!キレキレのスライダーで三振の山を築いたK-Rod

メジャー実働16年

登板 イニング 勝利 敗戦 セーブ 奪三振 防御率 WHIP
948 976.2 52 53 437 1142 2.86 1.16

1982年ベネズエラ生まれ。生後2か月で両親に捨てられ、祖父母らの手で育てられる。その後は両親の元を何度訪ねても無視されるばかりだったという。14-15歳のころには90マイルの速球を投げ、16歳になってメジャー球団との契約が解禁されると10以上の球団が獲得に乗り出したが、1999年にエンゼルスと契約した。

最初の3年間は先発投手として投げたが、三振は多いもののなかなか結果を残せずにいた。2002年からは救援投手に転向。徐々に頭角を現し、2002年9月にセプテンバー・コールアップ(脚注参照)で20歳でメジャー初昇格した。

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昇格当初は特段の期待もされなかったのだが、投げさせてみると90マイル台後半のストレートと切れ味鋭いスライダーで三振の山を築いた。ポストシーズンに近づくに連れ、クローザーのトロイ・パーシバルにつなぐセットアッパーの役を任されるようになった。

そしてエンゼルスは西地区2位ながらワイルドカードでポストシーズン進出を決めた。通常はセプテンバー・コールアップで昇格した選手はポストシーズンには出られないのだが、故障のため出られなくなった選手の代役としてロドリゲスは特別に出場が認められた。

衝撃の2002年ポストシーズン

ア・リーグ地区シリーズ(ALDS)では前年のリーグ王者ニューヨーク・ヤンキースと対戦。第2戦で、ロドリゲスはポストシーズン初登板。2点を失い逆転を許したものの、その後チームが再逆転し、ロドリゲスは勝利投手となった。続く第3戦では2回無失点4奪三振(下記動画参照)、第4戦では1.2回無失点3奪三振と好投。ロドリゲスの3連投とともにチームも3連勝し、3勝1敗でリーグ優勝決定シリーズ進出を果たした。

リーグ優勝決定シリーズではツインズと対戦。ロドリゲスは第2戦から第5戦まで4連投し、防御率0.00と相手打線を完璧に抑える。このシリーズでもロドリゲス登板試合でチームは全勝し、4勝1敗で球団創設42年目にして初のリーグ優勝・ワールドシリーズ進出を決めた。

ワールドシリーズではバリー・ボンズ率いるジャイアンツと対戦。第2戦で3回を投げて無安打無得点に抑え、シリーズ史上最年少の20歳286日で勝利投手に。しかし第4戦では安打と捕逸で走者を二塁に背負うと、デビッド・ベルに決勝適時打を許し、このポストシーズン初黒星を喫した。さらに第6戦でもバリー・ボンズのソロ本塁打とジェフ・ケントの適時打で2失点。3勝3敗で迎えた最終第7戦では1回を3奪三振・無失点に抑え(下記動画参照)、チームも勝利して球団史上初のワールドシリーズ制覇を成し遂げた。

このポストシーズンの3シリーズでロドリゲスは計11試合に登板。18.2回で驚異的な28奪三振を記録した。またランディ・ジョンソンに並ぶポストシーズン史上最多の5勝(1敗)を挙げた。この活躍により、”K-Rod” という愛称が生まれるなどロドリゲスの知名度・人気が高まった。

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この弱冠20歳の若者は、ポストシーズンでは90マイル台後半のストレートと、Nasty(エゲツない)と形容された恐ろしく切れ味の鋭いスライダーだけで三振の山を築いた。特にスライダーは衝撃的で、ワンバウンドになりそうなボールをメジャーの強打者がクルクル空振りするのはまさに爽快であった。

その後、ロドリゲスはセーブ王としてのキャリアを積み上げていくうちに、スライダーよりもチェンジアップに活路を見出し徐々に投球スタイルを変えていくのだが、管理人が見るに2002年のポストシーズンのスライダーは彼のキャリアでも最もキレていた

最後の2002年戦士

パーシバルが彼の師匠で、ブルペンでしょっちゅう怒られていたという。最初は「どうしてこの人は自分のことをこんなに怒鳴るんだろう?」と思っていたらしいが、それはキャリア終盤を迎えていたパーシバルがなんとしてもロドリゲスを一流のクローザーに育てたいという思いだったのだろう。打たれてもすぐに気持ちを切り替えることの重要さを学んだという。

2005年以降はそのパーシバルの引退によりクローザーに定着。毎年のようにセーブを積み上げていく。2008年にはシーズン62セーブのメジャー記録を作った。シーズン後、FAになったロドリゲスはエンゼルスからメッツへと移籍する。しかしこの後エンゼルスは毎年のようにクローザー不在に苦しめられるようになり、振り返るとこの時にロドリゲスと契約延長できなかったことは痛恨であった。

その後、メッツからブルワーズに移籍するもロドリゲス自身は2011年頃を境に成績が下降していく。さらにオリオールズ、タイガースなどとチームを代わっていくが、2017年6月にリリースされた。2018年はフィリーズのマイナー招待選手としてキャンプに参加していたが結果を残せず、3月24日に解雇され、事実上の引退となった。

2002年エンゼルスが世界一となった時、やはり新人だったジョン・ラッキー投手も2017年オフにFAとなってからは所属球団が決まらず事実上の引退。世界一のメンバーもついに全員が表舞台から姿を消した。

 

セプテンバー・コールアップ

通常はベンチに入れる選手数(アクティブ・ロースター)は25人だが、9月1日からは40人に枠が拡大され、多くの若手選手がメジャーに上がってくる。しかし、ぎりぎり40人まで詰め込むチームは少なく、5~6人増やして30人程がベンチ入りするところがほとんどである。

このセプテンバー・コール・アップの枠は多くの場合、来季以降に向け、若手のプロスペクト(有望株)を試すために使われる。特に下位球団にとっては今季の勝敗はほとんど捨ててかかっているので、単なる消化試合でなく新戦力を試す絶好の機会となる。

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