阪神鳥谷の引退報道で再燃「田口の10か条」

今回はエンゼルスとは直接関係のない投稿になるが、管理人はもう10年以上前のことだが、かつて田口壮選手(現オリックス打撃コーチ)がセントルイス・カージナルス時代にサイトの管理人をやっていた関係で、今でも彼の動勢は気にかけている。

最近、阪神タイガースの鳥谷選手の引退報道が出るやネット上では「田口の阪神に行きたくない10か条」なるものが取り沙汰されている。阪神ファンには拭い去ることの出来ない記憶なのか、過去に何度も蒸し返されるこの「田口の阪神に行きたくない10か条」について取り上げたい。

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1991年、関西学院大学(関学)の田口選手がドラフトを前に阪神に行きたくない理由を述べた「10か条」を発表し(後に撤回)、以降田口は阪神ファンからことあるごとに目の敵にされることになり、それは現在も続いている。

ここで田口がドラフトされた1991年当時を振り返ってみよう。この年関西学生野球連盟の通算安打記録を更新した田口は関学にとっては21年ぶりに誕生するであろうドラフト指名選手だった。しかも1巡目指名が確実の大スターだ。関学サイドとしては至宝である田口に良いチームに行って欲しかったのは間違いない。そして、そこに関西球団の雄である阪神タイガースが入っていても何の不思議もなかった。

しかし当時のタイガースは球団の連敗記録を更新(10連敗)するなど5年で4度目の最下位に沈み、1985年の38年ぶりの日本一の熱気は完全に消え失せていた。吉田、村山、中村と監督交代を繰り返し、トレードの失敗や外国人選手のトラブルも重なり、まさに暗黒時代としか言いようがない時期だった。

そこでこの「阪神に行きたくない10か条」なるものを田口に読ませたのが関学関係者。当時一学生に過ぎなかった田口が関学上層部の意向に抗えるわけもなく、この「10か条」を読み上げたわけだが、関学上層部の本当の意向は阪神に田口を行かせたくないと言うよりも、この「10か条」を阪神が発憤の材料として、田口を送り出すにふさわしい球団となるべく、自身の改革を求めたものではなかっただろうか。なにしろ関西の野球関係者で阪神を毛嫌いするような人間はほとんどいないわけで、言い換えれば関学関係者の強い阪神愛の裏返しと考えられる。

阪神に対して特段の悪感情を持っていたわけでもない田口はこの「10か条」発表以降人口に膾炙して、阪神に問題が起きるたびに激しいヤジを浴びるなどスケープゴートにされてきた。本人はおろか、地元西宮で暮らす母親や、熱烈な阪神ファンであった父親や兄ですらも30年近くに渡って一部の心ない人から「何様のつもりや」というような言葉をしばしば投げかけられたと言うから全く持って気の毒と言うしかない。

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今回の鳥谷の件で再燃した「10か条」だが、阪神は「田口(関学関係者)が言った」という他人事目線ではなく、真摯に大物選手の処遇を考える時が来ているのではないだろうか。

今年の夏は、岩手・大船渡高校の佐々木朗希投手が地区大会決勝の登板を回避して甲子園出場を逃した事件があり、賛否両論が巻き起こった(肯定的な意見の方が圧倒的に多かった)。佐々木投手は監督の決断によって肉体的な意味で保護されたわけだが、田口の事件を顧みると当時はいろいろな意味で選手が守られていない時代だったと思わずにはいられない。そろそろ田口が「10か条」の呪縛から開放されることを心から望んでやまない。

それと阪神のレジェンドである鳥谷選手には彼の輝くような球歴にふさわしいエンディングが用意されることもあわせて希望したい。

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