エンゼルス選手紹介:大谷翔平 (投手兼DH)

大谷翔平 (投手兼DH)(23歳)(背番号17)

100年ぶりのメジャー二刀流を目指す日本のベーブ・ルース!

2017年の成績(日本ハムファイターズ)
投手

試合数 勝利 敗戦 イニング 防御率 三振 四球 WHIP
5 3 2 25.1 3.26 29 0 1.26

野手

打率 本塁打 打点 OPS 盗塁
.332 83 31 .942 0

2018年はマイナー契約でスタートだが、開幕までに40人ロースターに登録され、メジャー契約へ切り替わると思われる。その場合でも、今年の年俸は最大で54万5000ドル(メジャー最低保証年俸)。年俸調停権を取得するのは早くても2020年オフとなるため、今年から3年間はメジャー最低保証年俸となる。ちなみに日本ハム時代の最後の年俸は2億7000万円だった。

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岩手県奥州市出身。右投左打、身長193センチ、体重92kg、血液型B型。なお、7歳年上の兄も社会人野球でプレーしており、身長も187センチあるという。

元野球のセミプロの父と高校で全国レベルのバドミントン選手だった母との間に、3人兄姉の末っ子として生まれる。小学3年生からリトルリーグで野球を始め、全国大会にも出場し、当時から投打で圧倒的な才能を示した。リトルリーグ時代に父のアドバイスで左打ちに転向。生来の器用さもありあっという間に習得したという。リトルリーグの練習場は、ライトフェンスの外に川があり、大谷があまりにライトの場外に飛ばして、川にボールを打ち込んでしまうので、監督からレフトへ打つように指導されたという。

高校時代は甲子園に2回出場したものの目立った成績は残せず
高校は甲子園で活躍した菊池雄星に憧れ、花巻東高校(私立)に入学。2年の夏と3年の春の2回、甲子園に出場した。投手としては150kmという球の速さは目立ったものの、荒削りすぎて、通算で14イニング、防御率3.77、16奪三振という平凡な成績に終わっている。野手としては2試合で打率.333、1本塁打であった。しかし高校3年の夏にアマチュアの投手としては史上最速の160kmを記録し、一気に注目されるようになった。この記録は現在もアマチュア記録として破られていない。この時点ですでにドジャース、レンジャース、レッドソックスなどのメジャー球団から注目され、本人もメジャー行きを意識するようになった。

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高卒メジャー挑戦を表明したが、一転、日ハム入り
2012年オフに日本ハムからドラフト1位指名を受ける。当初は高卒メジャー行きを目指していたため固辞していたが、日本ハムから「メジャーに行くための日本プロ野球入り、および二刀流の実現」というシナリオを示されて次第に軟化し、最終的には入団を決める。

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未完の大器がついに覚醒
日ハム入団後は先発投手と外野手を同時に行う二刀流を目指した。2014年にはNPB史上初となる「2桁勝利・2桁本塁打」(11勝、10本塁打)を達成。翌2015年には最優秀防御率、最多勝利、最高勝率の投手三冠を獲得。

2016年には、NPB史上初の「2桁勝利・100安打・20本塁打」を達成。投打両方で主力としてチームのリーグ優勝と日本一に貢献した。そしてNPB史上初となる投手と指名打者の2部門でのベストナインの選出に加え、リーグMVPに選出された。この年の7月3日ソフトバンク戦では1番、投手として出場し初球先頭打者本塁打を放った。投手の先頭打者本塁打は世界初の出来事だった。また、自身の持つNPB最速記録を更新する球速165kmを記録し、現在でも日本記録である。

故障に苦しんだ2017年
しかし、2017年は春先に足首を痛め、シーズンを通して故障に苦しんだ。結局、投手としてはプロ入り後ワーストタイの3勝、野手としても65試合出場、8本塁打という成績に終わった。しかし、最終登板となった10月4日のオリックス戦ではプロ野球で66年ぶりとなる「4番・投手」で出場し、打席では4打数1安打、投球では10奪三振の完封勝利を記録し、投打とも最高レベルの実力を印象づけた。

メジャー挑戦を表明
2017年11月11日、今オフにポスティング制度でメジャーへ挑戦することを表明。メジャー全球団が獲得に名乗りを上げたが、ドジャースやヤンキースなど有力球団への入団が取り沙汰されるようになった。

11月29日に代理人を通じて全30球団に対し、「自身に対する評価」「今後の育成法」についての質問状を送付。12月4日に書類審査の結果、移籍先を7球団に絞ったと代理人が発表。落選した球団にはヤンキースやレッドソックスといった名門も多く含まれており、米国でも大きな反響を呼んだ。

エンゼルス入りを決断
12月8日、代理人よりロサンゼルス・エンゼルスと契約合意に至ったと発表され、球団側も大谷の獲得を表明した。翌9日にマイナー契約を結び、本拠地のエンゼルスタジアムで入団記者会見が行われた。会見には約1000人のファンも駆けつけ祝福した。隣接するチームストアでは入団発表から24時間もたっていないにもかかわらず、背番号17の真新しい大谷のTシャツが早速売られ、約30ドルという価格にも関わらず飛ぶように売れていった。

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「相場の100分の1」 低く抑えられた契約金と年俸
メジャーでは2016年オフに、選手会とリーグによる新協定を結び、25歳未満の外国人選手と契約する際、契約金の総額を、球団あたり年間575万ドルとした。経営者側としては、獲得競争による契約金高騰を抑制でき、選手側としても有限の資金を外国人選手に回されたくないという両者の思惑が一致したことによる。具体的にはキューバ選手の獲得競争を念頭に置いたものと思われる。

さらに、この協定で獲得した選手は最初はマイナー契約を結ぶこととされ、仮に開幕までにメジャー昇格を果たしたとしても、メジャー最低年俸の54万5000ドルに抑制されることになる。さらに初めてメジャーに上がったアメリカ人選手と同様に、年俸調停権を得るまでの期間も3年とされた。

23歳の大谷もこの協定の適用を受け、契約金はエンゼルスが確保できた231万5000ドルに過ぎなかった。ちなみに日ハム側は、ポスティング制度で選手をメジャーに送り出す代償としてエンゼルスから2000万ドルの補償金を得ている。仮に大谷がこの協定の対象外となる25歳になるのを待ってからメジャーリーグ入りすれば、田中やダルビッシュ以上の大型契約が見込まれ、彼の得る契約金と年俸は総額で軽く2億ドルを超えただろうと言われている。つまり、大谷は相場の100分の1の金額でエンゼルスと契約したことになる。

大谷が何の躊躇もなく、超格安の金額でメジャー入りしたことは、米国でも衝撃を持って受け止められた。多くのアメリカ人はどれだけお金を稼いだかが人生の成功の尺度と考えており、大谷の行動は「クレイジー」としか映らなかった。しかし、お金ではなく純粋に自分の夢を追求する大谷の態度に感銘を受けた者も多かった。

プライベート
大谷は2016年12月にホリプロとマネージメント契約を結んでいる。CM出演やテレビ出演などのマネジメントをホリプロに任せたものと思われる。

プロ入りしてからの5年間、日ハムの練習場の脇にある独身寮で暮らし、車どころか運転免許すら持っていない。二刀流実現のためには他人の倍は練習が必要と考えた栗山監督は、大谷に対して寮から外出する時は事前の届け出を義務付けたが、実際、外出はほとんどしなかったという。大谷は「仮にそのようなルールがなかったとしても、大して変わらなかったはず」と語っている。上下関係の厳しいプロ野球の世界だが、先輩から酒席に誘われてもほとんど断ってしまう。クリスマス・イブですら外出せず、練習場にいたというほどだ。

また、本人は無趣味を公言しているが、あえて言えば読書とDVD鑑賞。食べ物にもこだわりはなく、洋菓子が好きだが、カロリーを考えて和菓子を主に食べる。一番の好物はクレープ。

収入の殆どは両親にそのまま渡し、管理を任せてしまっている。寮に住んでいるので、衣食住もほとんど球団からまかなってもらっており、自分は小遣い代わりに毎月10万円ほどを親から回してもらうだけ。しかし、その10万円すら使い切らず、200万円以上貯まってしまったという。

大谷のことをケチだという人もいるが、実際は金銭欲、物欲がなく、静かでつつましい生活が好きなだけのように思える。

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